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(showing articles 2001 to 2019 of 2019)
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佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

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    昼食後チェックインをし、手荷物を預かってもらった。そしてスタッフから、IHG src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/fb/14d0fbf89e47889d77e07e1607d4cdd3.jpg" border="0width="600" height="450">

    壷川駅

    24時間営業のコインランドリー

    沖縄のALSOK

    首里方面は1番線

    時刻表と各駅までの所要時間

    首里城のモザイク画

    首里駅周辺の案内図

    首里城公園の案内図



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    守礼門(しゅれいもん)は、沖縄県那覇市首里にある首里城歓会門の外にあり、首里を東西に貫く大通りである「綾門大道」(アイジョウウフミチ または アヤジョウウフミチ とも)の東側に位置する牌楼型の門(楼門)である。日本城郭でいう首里城の大手門に値する。柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いている。

    第二尚氏王朝の時代、中国からの冊封使が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎え三跪九叩頭の礼をとっていた。沖縄戦で焼失したが、1958年に再建され、1972年には沖縄県指定有形文化財となった。

    守礼門は、かつては旧首里城の敷地内に門だけがポツンと再建されていたため、パンフレットやガイドブックで守礼門の写真を見て訪れた観光客が落胆するという「日本三大ガッカリ名所」の一つにあげられる事が多かった。しかし首里城本殿再建後はそのような声は減り、二千円券の図柄として採用されるなど沖縄の象徴的建造物となっている。以上はウイキペデイアから引用した。

    しかしながら、実際に訪れてみると、威風堂々たる建物でいかにも沖縄らしく、見応えのある建造物と言う印象だった。首里城も守礼門も世界遺産に認定されているが、その歴史的背景を語れば語るほど難しくなる。その仔細は成書に委ねるとして、まずは撮影した写真の数々をご覧頂ければ幸いである。


    交番も

    沖縄っぽい

    ここを左折すると首里城に至る

    ここを真っ直ぐ行く

    首里城まで400m

    首里城前の交差点

    ここを左折して真っ直ぐ進むと守礼門に至る

    首里城の碑

    首里城前にいた民族衣装姿の娘さん達


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    歓會門

    そのひやんうたき石門

    その説明看板

    そのひやんうたきとは琉球王府の祈願所である

    この石門は日本と中国の建築様式を合わせ持つ独特の石造建築である

    歓會門は首里城の入口に当たる

    歓會門


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    首里城内郭にあり、別名「樋川(ひかわ、フィージャーガー)御門(うじょう)」とも呼ばれる首里城第二の門。瑞泉門の名前は、門の手前右側にある、「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧水に由来する。1470年ごろに創建され、尚真(しょうしん)王の時代に歓会門(かんかいもん)や久慶門(きゅうけいもん)ができるまでは、首里城の正門とされていた。こちらはアーチ門ではなく、断ち切った城壁の上に直接櫓(やぐら)を載せている。この方式はアーチ門より古い形式であり、戦前は国宝となっていたが、第二次世界大戦で焼失、その後、1992年に復元された。

    門の両脇には魔除けの意味を持つ一対の石獅子(シーサー)が並び、石獅子は使われている石の古さからみて、最古のシーサーと言われている。櫓門は日本本土の城門でも見ることができるが、櫓の中央の「瑞泉」という扁額(へんがく)が琉球独特の持ち味を出している。門は石段の先にあるため、記念撮影の人気ポイントとなっている。

    以上、沖縄テンペストから引用した。

    瑞泉門へ至る道の入り口

    右側の石段を登る

    その先に瑞泉門がある

    ここは人気の撮影スポット

    瑞泉門の謂れ

    これが龍樋


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    関の寒戸崎の正式名は「大杉神社」と言う。相川の二つ岩の大明神同様、狢信仰の権化だ。

    その昔、寒戸という岩屋に、お杉という年増の雌狢(めす むじな)が住んでいた。彼女は強い神通力を持っていたので、村の者は畏れ敬い、浜に揚がった新鮮な魚を岩屋に届けたり、収穫した初穂を献上したりして、その狢を祀っていた。安政年間、佐渡に疫病が流行したときも、寒戸の狢に祈れば疫病にかからないという噂がたち、多くの参拝者が訪れたと伝えられている。

    関の寒戸のお杉は、美人の姉さんに化けては、たびたび夜道を通る男をだましていたと言う。ところが、そのお杉がよそ者である能登の船頭に本気で惚れてしまい、狢の掟を破りその男に肌を許してしまった。そのため、知行山の神の怒りを買った結果、山崩れに遭い、お杉は能登の船頭共々土の下敷きになって死んだ。村人はそれを哀れに思い、寒戸に祠を建て、お杉の霊を弔ったと言い伝えられている。

    小道の突き当りには、そのお杉を祀る大杉神社がひっそりと建っている。蔦が絡まる鬱蒼とした雰囲気が漂う中、杉の大木を切断し、逆Vの形にしたものが、祠の前に鎮座ましましている。社殿の下には狢がすむという洞穴があり、真夏でも地底の冷気が吹き上げてきて涼しくそして不気味である。これが「寒戸崎」という名称の由来なのだろうか?信心深い村人は、毎月二七日の縁日には堂にお籠りをするそうである。

    寒戸崎の入り口

    立ちはだかる杉の大木

    お堂の内部

    夏でも冷気が吹き上げる洞穴

    いまにも

    朽ち果てそうな大木だ

    http://www.digibook.net/d/8f94c1d3911c223160a3bd32a231f64a/?viewerMode=fullWindow


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    漏刻門は首里城第三の門。「漏刻」とは、かつて櫓(やぐら)の中に水時計が置かれていたことに由来する。晴天時には門の東方約20メートルの所に設置した日時計「日影台(にちえいだい)」、雨天時は櫓の中の水時計を用いて時間を計っていた。時間になると、漏刻門で役人が太鼓を叩くのを合図に、城庭、東のアザナ、西のアザナ(物見台)、及び右掖門(うえきもん)で同時に大鐘を鳴らす。これにより、城内・城外に時間を知らせていたと伝えられている。また、琉球名を「かごいせ御門(うじょう)」と言う。「かごいせ」とは「カゴ寄せ」、つまり昔は国王に敬意を表すため、籠でやって来た高官もここで下乗し、徒歩で登城することに由来している。

    漏刻門に至る道

    漏刻門の説明看板

    右手は広福門だが、訪問時は改修中であった

    漏刻門の裏手

    久慶門と城壁

    遠くに見えるのは沖縄県立芸術大学


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    奉神門は、正殿のある御庭(うなー)へ続く最後の門。御庭を取り囲む建物を門として利用している。「神をうやまう門」という意味があり、別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」とも言われている。3つの入り口があり、中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)など、身分の高い人専用の門。向かって左側は「納殿(なでん)」と呼ばれ、薬・茶・煙草などの出納を取り扱う場所だった。右側は「君誇(きみほこり)」と呼ばれ、さまざまな儀式や式典で使用され、神女(ノロ)が神々をもてなす場所だったとされている。1562年に石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録が残っているため、創建はそれ以前と考えられている。この欄干は「ニービヌフニ」と呼ばれる細粒砂岩で作られており、かつては手すり部分に銘文が刻まれていた。

    奉神門

    入場券売り場

    代金はクレジットカードで支払えた

    門の入り口

    首里城正殿前で記念写真を撮る人々

    南殿と番所

    右側が番所


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    首里城正殿の正式名称は「百浦添(ももうらそえ)御殿(うどぅん)」と言う。「たくさんの浦々を支配する御殿」という意味である。中国の宮殿建築の様式を採用しながらも、正面にある装飾板の「唐(から)破風(はふ)」という部分は日本建築の様式で、日中の建築様式をミックスさせている。また、正面階段のハの字状に広がった形式や、龍そのものを柱にしてしまう龍柱は、琉球にしかないもので、これらが合わさって琉球独特の建築物となっている。3階建ての、沖縄県内で最大の木造建築である。

    1階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自らが政治や儀式を執り行う場だった。中央の華麗な部分は「御差床(うさすか)」と呼ばれ、政治や儀式の際に国王が出御(しゅつぎょ)する玉座で、1段高く作られている。柱は朱漆に金龍と五色の雲の装飾である。左右には国王の子や孫が着座した「平御差床(ひらうさすか)」がある。向って右側に王子、左側に王孫が座った。裏側には2階に通じる「おちょくい」という国王専用の階段があり、国王はこの階段を降りて御差床(うさすか)に着いた。

    2階は「大庫理(うふぐーい)」と呼ばれ、王妃や身分の高い女官が使用した空間である。2階にも「御差床」があり、国王の玉座として国王と親族・女官らが儀式や祝宴を行った。漆塗りの御差床は、禅宗の須弥壇(しゅみだん)と似て、沈金(ちんきん、漆で金箔を接着させる技法)で唐草模様が描かれている。壇にはさらにブドウとリスの彫刻が施されている。ブドウとリスは南蛮渡来のデザインでおめでたい意味があり、琉球漆器にも見られる。2階御差床のある部屋は「御書楼」とも呼ばれ、それはこの部屋に歴代中国皇帝が書いた書が額に仕立てられて飾られていたためである。全部で9つあり、そのうち3つが復元された。康煕・雍正・乾隆帝の書で、ここにはレプリカの王印、王冠も置かれている。2階部分の裏には「おせんみこちゃ」という部屋がある。国王みずから女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいたところである。神棚として神霊を祀っていて、女官は抹香を焚いて「火の神」などを拝礼していた。身分の高い神女の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとにここで行われた。

    3階は主に通風のための空間で、実際には利用されていない。

    北殿

    写真撮影に興ずるおじさん

    番所


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    人は誰しも旅行する時は快適な旅を求めたがる。新幹線ならグランクラス、飛行機ならプレミアムクラスかファーストクラス、船なら特等で移動し、現地では高級ホテルのスイートルームや高級温泉旅館の露天風呂付き離れに宿泊し、地元産の美味しい料理を食べる。そしてゆっくりと観光した後、スムーズに快適に移動して帰宅する。これが理想である。だが、大抵の人々は、予算上の制約から、新幹線なら普通席の指定席、飛行機はエコノミーの旅割りや早割りチケットで、船なら二等を選び、じゃらんか楽天トラベルで探した安宿に宿泊し、お仕着せの団体料理を食べさせられる。そして総花的にあっちもこっちもとあくせくと観光しまくり、あたふたとしながらせわしなく帰宅するのが常であろう。いくら激安とは言え、そんな旅をして本当に楽しいのだろうか?「安物買いの銭失い」とはよく言ったもので、安上がりツアー旅行とは所詮その程度でしかない。高くても快適な旅を求めるか、少々窮屈でも安い旅で我慢できるかは、個人個人の価値観によるので、どちらがいいとは一概には言えない。だが、けちけち旅に徹するのは、暇はあるが金のない学生のやる事であり、社会人たるものは、それなりのコストをかけた旅をすべきであろう。

    さて筆者は、桜の満開から3日を過ぎた2016年の4月3日、傘を必要としない程の霧雨の中、ホテルニューオータニへと向かい、午前11時10分頃に充電駐車場にi8を停めた。そしてロビー階のカフェレストラン「サツキ」を訪ねてみた。店内の客はまばらだったが、5分ほど待たされた後、奥のテーブル席へと案内された。

    筆者は、「雲丹、ずわい蟹、オマール海老のパスタ(4514円)」を注文した。すると最初にセットになったパンとサラダが運ばれて来た。その日は猛烈に腹が減っていたのでそれらを瞬く間に食べ終えてしまった。パスタのソースは濃厚なアメリケーヌソースであり、それも瞬時に食べ干して終了。お席でお代を支払った後、雨が上がったニューオータニの駐車場へ戻るためホテルの外に出た。


    これを注文した

    サツキ

    店内の様子

    テーブルセッテイング

    パンとサラダ

    サラダ

    パン

    ずわい蟹

    オマール海老

    芝海老

    雲丹

    パスタ全景を縦アングルで撮影した


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    国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、琉球語の古称では「みもの御門(うじょう)」「うなか御門(うじょう)」と言う。外郭の城壁がなかったころ、大御門とされた瑞泉門に対し、淑順門は副門とされていた。門の造りは櫓門形式(やぐらもんけいしき)・入母屋造(いりもやづくり)・本瓦葺(ほんがわらぶき)となっている。淑順門西地区では、上半部は第二次世界大戦によって破壊されていたが、発掘調査により、戦前のころまであったと思われる城壁が確認されている。建物の創建年は不明とされるが、2010年に復元された。

    北殿内部

    大きな沖縄飾り

    左手へ行くと久慶門に至る

    淑順門の説明看板

    淑順門から見た首里城城壁

    ライトアップ用のライト

    沖縄県立芸術大学キャンパス

    ここもキャンパスかと思う

    この塔は何だろうか?




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    久慶門は首里城外郭の北側に位置する。別名、「喜び誇る」を意味する「ほこり御門」とも言われている。国王や外国の使臣など男性が使用する正門の「歓会門(かんかいもん)」に対し、久慶門は主に女性が利用する通用門の役割を担っていた。作られたのは1477〜1526年の尚真(しょうしん)王の時代で1983年に復元された。門の造りは中央が石造アーチ門、その上には木造の櫓(やぐら)、両脇には城内の水源として重要だった湧泉や龍樋(りゅうひ)がある。雨が地下に浸透し、再び湧水として出てくる場所でもあった。順路の関係から現在は城郭内観覧順路の出口専用になっているが、往時は多くの人々の出入りで賑わっていたと思われる。

    久慶門から北殿を見たところ

    二つの石垣が見える

    上半分が復元された石垣で、下半分が遺構としての本来の石垣

    こんな感じで見える

    久慶門へと至る石畳の道

    ここを右へ曲がると

    久慶門に至る


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    佐渡には清水寺(せいすいじ)と名の付くお寺は二つある。一つは新穂にあり、今一つは外海府の石名集落にある。前者は山の斜面に張り出した舞台で有名であり、佐渡市の文化財に指定されている。後者は天然記念物の大銀杏で有名である。石名の清水寺のもう一つの名物は、その寺名の由来となった滾々と湧き出る清水である。これは長寿の水、知恵の水とも言われ、嘘か誠かはるばる九州から取水に来る人もいるやに説明看板には書いてあった。清水は冷たく一口飲んでみたら透き通った味がした。折しも初夏の昼下がり時である、この清水をがぶがぶと飲んで喉の渇きを癒しながら、長寿と頭脳明晰を祈願しておいた。境内には、梨の木地蔵のように、多くの小さなお地蔵さんが大木の根元に飾られており、筆者は大銀杏の葉の下の木陰でしばし涼を取った。本堂内には薬師如来像、地蔵菩薩像、梵字版などが納められているそうだ。

    大銀杏

    清水

    お寺の本堂

    境内のお地蔵さん

    その2

    お寺前に咲いていたチューリップ

    http://www.digibook.net/d/3105e3d3905f2079fc43b726bc29b618/?viewerMode=fullWindow


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    「円覚寺」は琉球王朝黄金時代を築いた尚真(しょうしん)王が3年の歳月をかけて1494年に建立した。円覚寺は、王家の菩提寺として、またかつて琉球一の規模を誇った臨済宗総本山としての役割を担い、首里城周辺に数多くあった仏教の寺院や御殿を代表する存在でもあった。寺は鎌倉の円覚寺を模して作られ、禅宗の七堂伽藍の形式を採用。琉球建築の粋を集めた仏殿には貴重な装飾が施され、総門・山門・仏殿・伽藍などが旧国宝に指定されていたが、その全ては第二次世界大戦で焼失。しかし1968年に始まった復元作業によって、総門・石垣・右脇門・放水池(池に架かる放水橋[国指定重要文化財]は往時のもの)がよみがえり、現在に至っている。

    復元された円覚寺の山門

    説明看板

    円覚寺山門前にあった

    沖縄県立芸術大学


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    沖縄のファミリーマート

    沖縄のローソン

    民家の前のサイの像

    面白いオブジェが飾ってある

    沖縄の大衆食堂「よもぎ家」

    琉球銀行の看板

    沖縄銀行

    琉球銀行首里支店


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    沖縄都市モノレール線「ゆいレール」は、沖縄本島の玄関口である那覇空港から赤嶺経由で漫湖を渡って旭橋に抜け、旭橋からは久茂地川沿いに那覇市の繁華街である久茂地・牧志地区を抜けて国際通りを跨ぎ、国道330号を北上して古島からは環状2号線を上り首里に至る全長約13kmの跨座式のモノレール線である。この約13kmの区間をワンマン運転の2両編成の車両が約30分かけて走っている。

    終点の首里駅にはプラットホームは二つあるが、片方だけしか使用されていない。

    モノレールのレール

    モノレールは二両編成

    首里駅の向こうに琉球大学病院がある

    首里駅

    首里駅構内で見つけた観光パネル


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    首里駅から壷川駅に戻った筆者は、沖縄ハーバービューホテルへは戻らずに、国際通りの南側にあり、那覇市の中心部を東西に貫く開南せせらぎ通りの方へ出てみた。ホテルから下る道と、この通りが交差する地点には「エル・パティオ」なるイタリアンレストランがあった。ここを右折し、暫く進むと国際通りへと抜ける一方通行の道路が左手に見えて来る。この通りが通称「コミュニテイ通り」であり、この通りの左手に那覇市役所がある。右手には沖縄県警と沖縄県庁の行政棟と議会棟が南北に並んで建っている。要するに沖縄の行政、議会、警察権力の中枢がこの一画に集中しているのである。さしずめ沖縄の霞が関とでも言ったところである。

    更に議会棟の真向いには沖縄唯一の百貨店である、パレットくもじと沖縄リウボウがあり、その見た目のハイソさゆえに、国際通りの両側に軒を連ねる俗っぽい土産物屋群とは一線を画しているように思えた。だが、沖縄三越が撤退した現在では、そんな百貨店ですら、東京の駅ビル辺りにあるような、多くのテナントが入居する商業施設とは比ぶべくもない品ぞろえでしかなく、沖縄の人々がわざわざ飛行機に乗って東京の百貨店に来たがる理由がよく分かった。

    コミュニテイ通りへの入り口

    沖縄県警

    那覇市役所

    パレットくもじとリウボウ百貨店

    那覇市役所前の花壇

    沖縄県警横の花壇

    ハンバーグ弁当


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    何が愛のシーサー公園かと言うと

    こういうチャラチャラしたシーサーが

    銀製の細長い壺状のフードの中に入っていて

    それがぐるぐる回る仕掛けになっているのだ

    阿保臭いと言ってしまえばそれまでだが、夜はライトアップされ、それなりにカップルのデートスポット的な場所になっていた

    公園の入り口には

    赤いシーサーがでんと構えており

    その隣は交番だから夜の治安と風紀の取り締まり対策はばっちりであろう


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    国際通りの入り口

    県庁の議会棟を右手に見ながら

    国際通り方向へ進むと、右からホテル「ロコアナハ」、みずほ銀行、沖縄銀行本店の順に見えて来る

    国際通りの入り口の左手にみずほ銀行があり

    御成橋通り方向の左手にパレットくもじがある

    みずほ銀行と土産物屋のおきなわ屋

    国際通りの入り口の右手に

    おきな屋やとホテル「ロコアナハ」がある


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    鶴子銀山で豊かな鉱脈を掘り当て、数万両を稼いだと伝えられる、山師「秋田権右衛門」が建てたお寺が吉祥寺であり、現在ではその跡地しか残されていない。「沢根のお菓子屋「しまや」さんの左隣の道を北上すると、やがて左手に秋田権右衛門家の墓が見え、次いで右手に西野金北山(きんぽくさん)神社があり、その向こうの左手に吉祥寺跡がある。西野の金北山神社は、社伝によれば、724年の創建といわれる。かつては鶴子銀山にほど近い屏風沢にあったが、山師秋田権右衛門によって現在の西野に移された。例祭では鬼太鼓や能が奉納されるそうだ。

    以下は歴史書を紐解いたところ分かった記述である。

    「秋田権右衛門は五十里山を中心に活躍した山師で出生地は秋田。秋田城主の佐竹氏に仕えていたが、1624年に秋田から佐渡に渡った。旧姓は秋元だが、鎮目市左衛門の頃に秋田と改めた。山主の古口権兵衛に仕え、権兵衛の死後に名跡を次いだ。相川から西野村に移住して、屏風沢・仕出喜沢・松ヶ沢・百枚平一帯で稼いだ。正保年間(1644~47)に城下川端にあった多聞寺を西野村に移して、吉祥寺と改称し、更に河内山屏風沢にあった小社を金北山神社として吉祥寺境内に移した。仕出喜間歩で豊鉱脈を掘り当て、1652~58年まで数万両を稼いだと伝えられる。2代目も弥十郎間歩・黒瀬間歩・鳥越間歩・小滝間歩を稼ぎ、銀山巧者として名声を高めた。」

    要するに、鶴子銀山で一山当てた大金持ちなのだが、意外に知られておらず、佐渡検定の本にも紹介されていないし、佐渡市の文化財のHPでも紹介されていない。

    秋田権右衛門の墓

    金北山神社

    吉祥寺前にあった並び地蔵

    一体一体

    表情が違う!

    http://www.digibook.net/d/acd5c977a05f027d64a7bfb23021f70c/?viewerMode=fullWindow


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