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Channel: 佐渡の翼
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油坂(佐渡市相川)     投稿者:佐渡の翼

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相川を始めとしたお寺事情と公園事情に至極詳しい、No31さんによると、彼が御幼少の頃は油坂辺りを"ゾグラ"と呼んでいたそうだ。雑蔵(ぞぐら)とは山師が利用した倉庫で、四軒ほど在った。その中に油を保管した倉庫が有ったので、油坂=雑蔵坂と呼ばれていたそうだ。その後、雑倉は京町に移されたとのお話である。広源寺の左脇にこの坂の入り口がある。ここを登ると、やがて右手に一軒の家が見えてくる。随分立派な家である。そして左側は竹やぶ林になっていて、そこには五輪の塔などの石塔が垣間見えた。そして坂は、やがて、紋兵衛坂へと到る道に合流して終わった。坂の途中には特段、これはと目を引くような物は無かった。その昔、油は照明用あるいは暖房用に貴重な生活物資として珍重された。かの、美濃の斉藤道三も、「山崎屋」と言う油売りの商人から身を起こしたと言うではないか。道三は若かりし頃、庄九郎と名乗り、京の油屋の娘「おまあ」を垂らし込み、婿入りしてその身代を奪い美濃への足掛かりとした。「とうたら、とうたら、とうたらりい〜」と言いながら、滴り落ちる油のしずくを五円玉の穴の中に通す大道芸で通行人の興味を引いた庄九郎の一場面を思い起こした。かように油とは金銭にも優る莫大な財産としての価値があった。油坂と聞いた時、当初は豪奢な坂かと想像したが実際は質素な坂だった。道路に油が撒かれて滑りやすいので油いから(あぶないから)、油坂と名付けたのかと冗談を飛ばしたくらいだ。

 

佐渡テレビの解説者の話によれば、佐渡には新潟県指定の有形無形の文化財の約65%が存在するそうで、佐渡は誠に文化財の宝庫である。島民はその有り難味をさほど感じてはいないようだが、専門家に言わせれば、佐渡ほど貴重な文化財が埋没している島はないそうである。古い物は大切にし、残していく努力を怠ってはならぬ。佐渡の集落には昔ながらの古い物がそのままの形で残されているのは開発されていない証拠である。なまじ集落起こしなどはしない方がいいと思う。そんな事をすれば、観光客が大挙して押し駆け、それらが破壊されかねないからだ。http://www.digibook.net/d/fb95cf9bb11ba6d8b1efa241d4312f24/?viewerMode=fullWindow


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