佐渡の宿泊施設を予約すると、必ずと言っていいほど連絡先として携帯電話の番号を尋ねられる。宿泊確認の連絡先として、固定電話が留守だった場合に備えてと言う事のようだが、筆者は携帯電話は所有しているが、いつも「携帯は持っていないんですよお〜」と答える事にしている。不用意に個人情報を漏らしたくはないからだ。携帯電話はあくまでも緊急時の連絡用(事故の際の警察への通報用等)であり、不要不急の連絡に使うような事はしない。だから旅先では電源を常にオフにしている。
筆者は11月下旬に、3月宿泊予定の「宝家」さんに予約の電話をかけた。電話口にお出になった女将さんは、えらい先の話なので、連絡先やら住所やら、宿への到達方法などについて根掘り葉掘り聞いてきた。筆者は、バストイレ付きのお部屋を御願いした。女将さんは「一人客では割高になるがよろしいでしょうか?」と念押しをしてきたので、筆者は「金に糸目は付けないよ」と答えておいた。尾崎紅葉ゆかりの宿である「ごんざや旅館」さんが廃業し、小木の街中で営業する老舗宿泊施設(旅館)は、宝家とかもめ荘だけになり、小木の街は寂れる一方である。天南荘は、当の昔に廃業し、今では講演やミニコンサートなどのイベント時に開放されるだけだと言う。
筆者は3月中旬のとある日の午後3時15分頃にこのお宿に到着した。玄関扉を開け、フロントカウンターを見たら、4月の市長選挙に立候補予定の副市長のポスターが何枚か置かれていた。ややあってから、ご主人がお出になり、2年前と全く同じお部屋に案内してくれた。部屋には既にエアコンが稼働していたが、これは午後10時で切れるとの事で、石油ファンヒーターが用意されていた。お彼岸だが佐渡はまだ寒く、暖房は不可欠であり、温もりが身に染みた。5分ほど経過したところで仲居のおばさんが現れ、お茶を煎れてくれた。筆者が「ごんざやさんが閉館して寂しくなりましたね」と言うと、おばさんは「そうですねえ〜、ごんざやさんは頑張っていると思っていましたのに」と残念そうに答えた。
赤泊で夕食を食べ終えて帰ってきたら、宿のおにいちゃん達が布団を敷いていた。大浴場で汗を流した後に、カクテルパートナーで仕上げをし、床に就いた。