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Channel: 佐渡の翼
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日本料理「ほり川」(小田急ホテルセンチュリーサザンタウン)    投稿者:佐渡の翼

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ウエブ上の掲示板で他人の批判をする事は容易い。自身にその経験が乏しくとも、さも経験豊富なように装い、他人の成果をくさす事などは日常茶飯である。そのいい例が、当ブログに掲載された写真の出来映えに関し、それを嫉妬するゆえに発する誹謗である。「翼君って写真下手だよね。高級機の機能を生かしきれるだけの撮影技術に欠けている」などと書き込む人がいる。だが、佐渡の翼に掲載された写真以上の画質や構図を持つ画像を提示した上で、どこがどう下手なのかを具体的に指摘した上で批判しなければ説得力はなかろう。ただ単に「佐渡の翼は写真が下手」と書き込んでも誰も追随しないのがその証拠だ。「翼君って写真下手だよね」と言う書き込みは、実は羨望の裏返しであり、書き込み者の本心は「翼の写真は綺麗だなあ~、羨ましいなあ~」であろう。佐渡関連の写真ブロガー達は「俺が、あんな高級機を持っていればもっといい写真が撮れるのに」と心の中で思っているかもしれない。

嫉妬とは、自分よりも優れて映る者や、自分の持っていないもの、自分から見て良く思えるものを持つ者に対し、その存在を不快、不愉快に思う屈折した感情・心理である。僻(ひが)み、ねたみ、嫉(そね)みとも言われる。つまり、嫉妬ゆえに佐渡の翼のブログ画像を誹謗する輩の目には、佐渡の翼のカメラセンスの良さや、画像の素晴らしさが、自分よりも勝っていると映っているから、あえて翼を否定し、攻撃し中傷するような書き込みをしたがるのだ。ピンボケで画質の低い下手くそな写真ばかりを並べたブログを見て、それを下手くそだとあえて書き込む人はおるまい。誰もが下手だと思っているから、そう書き込む必要はないからだ。そう考えれば、嫉妬に起因する中傷行為を繰り返し受け続けると言う事は、悔しいと思いながらも、その心とは裏腹に、筆者の素晴らしさを認めざるを得ない人が、いかに大勢いるかと言う証拠であり、むしろ、「嫉妬されるほどにまでなったのは光栄な事ではないか」と思えるだけの度量が筆者にはある。都民や国民の間で人気の高い小池都知事が、某民放番組のインタビューで、他の政治家からの嫉妬に晒されている事を指摘された時に、彼女は同様の受け答えをしていたが、全く持ってその通りである。小池知事の人気ぶりを嫉妬する政治家は、陰でマスメデイアに小池知事の悪口を漏らし、知事が少しでもへまをしでかすと、それみたことかとばかりに「何だあれだけ騒いだ割にはこの程度の成果か」と、くさすのだ。

嫉妬ゆえの誹謗中傷行為は、すべからく羨望の裏返しなのだ。彼らは、心の中で思っている事とは正反対の事を掲示板に書き込む。つまりだ、「翼ブログの海外ネタはまじセンスない」と書き込む輩は、翼の海外旅行の写真のセンスの良さに嫉妬し、高級機種持参で海外旅行が出来る翼に嫉妬しているから、その裏返しで、翼ブログの画像をくさすような誹謗をあえて書き込むのだ。掲示板で佐渡の翼を激賞する人はいない。何故なら、掲示板の常駐者は佐渡の翼に嫉妬する人々ばかりであり、彼らは、翼ブログを褒めあげる事など死んでもできないからだ。しかるに中傷ならば、そうしたいと思う輩は五万といるので、皆喜んで中傷書き込みに同調し、その結果中傷の連鎖となり、彼らはその行為でガス抜きをし、憂さ晴らしをして自慰に耽り、自己満足に浸っているに過ぎない。中傷は後ろめたい行為なのだが、同調者がいれば、嫉妬しているのは俺だけじゃないと思い、自分自身を納得させられるのだろう。

嫉妬をする人間は、嫉妬相手が匿名ならば、その人を徹底的にこきおろし、否定し、攻撃し、ののしり、くさし、ケチを付けないと気が済まない。彼らは、翼がどんなセレブ記事で自慢しているのかを確かめるため、毎日当ブログを訪問する。そしてブログ記事の隅々まで読んではブログのアラさがしをする。そしてアラが見つかるや否や、そのアラを指摘してくさし始める。一回の海外旅行記事を小分けにして掲載し、説明文なしの連写写真の掲載だけの記事を数日続けたりすると、「佐渡の翼は面白くない、つまらない、小分け掲載は止めろ」と書き込む。面白くなければ読まなければいいだけの話で、「いちいち指図めいた事を掲示板に書き込むな」と言いたいのだが、翼に嫉妬する連中は、そう書き込んでくさしてなじり、悪口を言い、不満を書き込まないと気が済まないのだろう。そして嫉妬相手が失敗をし、落ち目になり、不幸への階段を転がり落ち、ブログ閉鎖に到るのを密かに願うようになる。彼らは嫉妬相手の存在そのものを不快に感じているし、嫉妬心を煽るような記事掲載を、目障り、鬱陶しい、憎たらしい、気に食わない、鼻に付く、悔しい、偉そうに、高慢ちき、だと思っているので、それにいちゃもんや難癖をつけたり、嫌がらせめいた書き込みや相手の感情侵害を誘うような書き込みをして、徹底的に嫉妬相手を叩きのめす事で、自らの不快感を解消し、快感を得ようとする人間達である。彼らの翼に対する嫌悪感は尋常ではなく、ありとあらゆる誹謗中傷暴言で翼を叩きのめさないと気が済まない。そして翼が失敗をし、彼女にふられ、金に困って不幸になる事を切望している。中には翼がこの世から消えてなくなる事を願う人がいるかもしれない。そのくらい、何かにつけて目立とうとする翼が憎くて憎くて仕方がないのだ。嫉妬が高じると憎悪になり、言葉の暴力で相手を威嚇し、叩き潰さないと気が済まなくなる。ここまでくると、最早チンピラではなくヤクザそのものである。

佐渡の翼が掲示板で常に中傷攻撃に晒されるのは、いかに佐渡には翼ブログに嫉妬する人間が多いかの証左である。彼らは、エコ系スーパーカーi8の所有に嫉妬し、毎年、ファーストクラス利用でスイートルーム宿泊で欧州旅行に行ける事に嫉妬し、飛行機はプレミアムクラス、列車はグラングラスかグリーン車、船は特等利用で頻繁に国内旅行に出掛けられるのに嫉妬し、ANAの上級会員で厚遇されるのに嫉妬し、年収2400万円を得ている事に嫉妬し、デート相手の彼女がいる事に嫉妬し、スタイルとファッションセンスが良く、女性にもてもてな事に嫉妬し、稼いだ金を全て自身の快楽のために使える事に嫉妬し、米国への留学経験がある事に嫉妬し、その卓越した語学力にも嫉妬し、高機能なカメラで撮影した高画質な写真の掲載行為に嫉妬し、そしてその高い文章作成能力にも嫉妬しているのである。何故なら、それらは全て彼らが所有しようとしても絶対所有できないものや、あるいは実現不可能に近い事ばかりだからだ。佐渡の翼は、つい嫉妬してしまうような優越事項を数多く所有しているのだから、これほど憎たらしい相手はおるまい。嫉妬輩には論理的な話は通用しない。ああ言えばこう反論し、支離滅裂で無茶苦茶な論理を展開するだけのチンピラ同然の輩だからだ。こういう輩に限って、自身が非難や誹謗の対象になるとムキになって汚ない言葉で反論する。

「俺が中傷を書き込むのは嫉妬ゆえではなく、上から目線のような翼のブログの書き方に問題があるし、それが気に食わないだけだ」と言い張り、いちゃもんをつけたいのだとしたら、それを掲示板に書き込む行為、それこそが嫉妬そのものなのだ。気に食わなかったり面白くなければブログを閲覧しなければいいだけの話だし、もし、ブログの記事内容や画像に問題があると言うのなら、直接ブログ管理者に対し、コメント欄やフェイスブック経由で自身の主張を述べ、堂々と論戦を挑むべきだからだ。低俗な連中しか書き込まない情報掲示板をその土俵とするのはフェアーとは言えまい。筆者は政治家ではないので、庶民に迎合する必要はなく、書き方が上から目線であろうが、へりくだろうが、それは筆者の自由であり、「翼のブログの書き方は庶民目線じゃなく、上から目線で威圧的。島民と同じ目線で書くべきだ」と、文句を付ける筋合いなどはなかろう。上から目線の書き方が気に食わなければ読まなければいいだけの話であり、掲示板の常連連中が事あるたびに主張する、上から目線書き方嫌いの価値観を当ブログに押し付けるのは筋違いもはなはだしい。

小池都知事のファッションセンスは評価されているが、洋服は全てオーダーメイドで金がかかっている。そのため、「それはお金を持っている人だから出来る事で、庶民的じゃない」との批判がある。だが、筆者は庶民目線に立つべき政治家ではなく、あくまでも一介の市井の人間であり、筆者と政治家を混同したような批判をしてもらっては困る。筆者は、佐渡島の一般大衆におもねったり、彼らをもてなしたりする立場の人間ではないし、又彼らの奴隷でもないので、彼らの指図に従う必要などはない。それを「完全に開き直っている」と混ぜ返す輩はいるが、金持ちが金持ち自慢をして何が悪いのだろうか?それに文句を付けたがる人間は「貧乏人の僻み、嫉み、妬み」と指弾されるのがおちだろうし、それは決して金持ちの決めつけではない。金持ちが羨ましいのなら、自身で努力して金を稼ぎ、筆者を見返せばいいだけの話だ。それが出来ないのなら、発奮のバネとするために、嫉妬は心の中だけにとどめておき、表に出すべきではなかろう。

更に、「翼への誹謗は嫉妬ゆえではなく、心底そう思うから、それを掲示板に書き込んでいるのだ」と主張する人がいたとしたら、その人は非常識きわまりなく、人間性のかけらもない人としか言えまい。もっとも、佐渡市雑談と言う掲示板に書き込む連中のほとんどはその腫の輩なのだが。。常識と節度のある人ならば、たとえそう思ったとしても思うだけにとどめ、それを口には出さないし、ましてや掲示板への書き込みなどは決してしないからだ。だが、たとえ常識人であったとしても匿名を隠れ蓑に、こっそり嫉妬中傷を書き込む輩がいないとは言えまい。翼ブログに対する批判を面と向かって、ブログの管理人宛にぶつける勇気のない人間、もしくはぶつけても完膚なきまでに論破され返り血を浴びるだけの人間は、当ブログとの直接対決を避けるため、掲示板にそれを書き込み陰でこそこそ当ブログを批判し、同調者を得ようとするのだ。そういう輩は卑劣にして卑怯な輩である。他人の噂話や悪口を陰でこそこそ言い合うのは佐渡島民の特性であり特技でもあるが、その特技を匿名者に対しても発揮するのは、発言者が特定されないと信じているからだろう。

彼らはブログ上に些細な誤りを見つけると、まるで鬼の首でも取ったかのように、喜び勇んでそれを掲示板で指摘する。そして同調者が現れ、一斉にブログへの中傷攻撃が始まり、スレッドを嫉妬からくる不満の捌け口にしてしまう。彼らは当ブログの記事内容が完璧な仕上がり具合で文句のつけようがない時は、「悔しい」「羨ましい」と言う感情を必死で抑え込んでいるが、必死に抑えて平静を装っている分、当ブログがちょっとしたヘマをしでかして、「何かを言える、あるいは文句を付けられる」理由があるとなると、それみたことかとばかりに、一気にその感情を噴き出し、爆発させて、「俺の方が上だな」と思い溜飲を下げようとする。だがそれは、嫉妬するだけで終わり、翼を凌駕する能力のない哀れな人間共の断末魔の叫びでしかあるまい。

佐渡の翼スレッドに中傷攻撃をしかける連中は、多分普段の職場では、同僚への嫉妬感情を理性でかろうじて抑え込んでいるのだろう。その分、仕事から解放されると、書き込み者が特定されにくい匿名掲示板で、日頃の憂さ晴らしとばかりに、タガがはずれたかのように、溜め込んだ職場での嫉妬感情を同類の佐渡の翼へ向けて爆発させ、八つ当たりをしているのだ。

佐渡島内のブロガー諸氏に於かれては、ウエブ上で嫉妬ゆえの中傷に晒されるようになれば、島民から注目されるようになったと思い、それを誇っていいであろう。佐渡の翼はとにかく目立つ事やスタンドプレーをしては、それをこれ見よがしにブログでひけらかす。すると、それに拍手喝采を贈る人や羨望視する人がいる事に嫉妬した島民が、一斉に反発し非難中傷攻撃をしかけて来る。掲示板の常連連中は、翼を毛嫌いし、笑いものにする人々ばかりである。だが、佐渡島内には当ブログ発足当初から筆者の着眼点の良さに着目し、当ブログを支持する人々が一定数いる。彼らは掲示板などに書き込むような非常識な人間ではなく良識ある人々ばかりだ。彼らからの応援メッセージは筆者の元に多数届いているが、筆者はあえてそれを公開していない。だから掲示板では当ブログは常に、トランプ大統領同様悪役に仕立て上げられている。

佐渡市雑談の「佐渡の翼が羨ましくて気になってしょうがない」や「佐渡の翼」スレッドは、佐渡の翼を羨む島民が、嫉妬ゆえの中傷を書き込むための格好のスレッドになっているのが実状である。このスレッドは、佐渡の翼への中傷行為を同調し合う中傷輩達の同性愛の場と化している。佐渡島は、中傷輩同士が愛し合い、掲示板に書き込み合い、そして時にお互いに罵り合うLGBT天国なのだ。羨んで中傷して、それを不満のはけ口とする輩を根絶やしにするのは相当難しい。中傷行為は許し難いが、彼らに「翼を嫉妬するな」とは言えないからだ。筆者は、彼らが筆者を嫉妬する心理は十分に理解できる。筆者とて、自分よりも優れた人が自己顕示をした時は、その人の失脚を願い、不幸になる事を期待する嫉妬心が芽生えるのを抑えられない事があるからだ。中には「俺達を嫉妬させるような記事は掲載せずに鍵をかけてしまっておけ」とあからさまに書き込む自分勝手な輩もいるが、嫉妬したくなければブログを閲覧しなければいいだけの話なのだが、当ブログには怖い物見たさの心理を刺激する不思議な魔力があるのだろう。彼らは、翼が「金持ち自慢はするが、それに文句を付けるな」と言うのはおかしいと掲示板で主張する。まるで「翼の自慢行為は許すとしても、代わりに文句を言い嫉妬をする自由をくれ」と掲示板で懇願しているかのようだ。その種の輩は、傍から見るとある意味可愛そうな存在だが、貧困がそうさせるのだろう。貧乏であっても貧乏人なりの価値観で、小さな幸せを感じ取ればよいのだが、つい金持ちに嫉妬してしまう自分自身を制御できないのだろう。この世に貧乏を誇りに思う人はおるまい。貧乏なりに小さな幸せを感じている人の心の奥底にも、裕福な生活に対する憧れは潜んでいよう。それが高じると嫉妬になるのだ。

人は誰しも職場では認められたいと思っている。にも関わらず認められないままでいると、会社で自分よりも格下の者が認められ出世した時のように、初期の頃はピンボケのコンデジ画像ばかりを掲載し、自分よりも下だと思っていた翼が、佐渡島民からその力量と経済力を認められ、島民の憧れの的となり、羨望視されているのが、悔しくて羨ましくてしょうがなく、それが嫉妬の炎を更に燃え上がらせるのだろう。そして相手の顔が見えない分、「キモイ」などと言う、より一層口汚い言葉でののしれるので、憎悪を増幅させ、佐渡の翼は「馬鹿」だ「アホ」だと罵詈雑言を浴びせて罵倒し、自らの不快感情を爆発させ、溜め込んだ職場でのストレスを発散させているのである。佐渡の嫉妬輩共よ、当ブログに対する嫉妬のはけ口として掲示板を利用し、そこに罵詈雑言を書き込んでストレスを発散させたいのなら心ゆくまでそうするが良かろう。それで彼らの気が済むのなら人助けだと思い、それを許すだけの度量が筆者にはある。彼らが掲示板で口汚く罵れば罵るほど、彼らの書き込み内容に対する不信感が加速し、逆に翼人気が上昇すると言う構図になっている。米国大統領選挙でマスコミがトランプ叩きをすればするほどトランプの支持率が上昇したのと同じ展開なのだ。トランプは最後は大統領の座を射止めたが、その最大の功労者は皮肉にもトランプ叩きに徹したマスメデイアだった。トランプは自伝の中でこう言っている。「人と違ったり、少々出しゃばったり、大胆なことや物議をかもすようなことをすれば、マスコミがとりあげてくれるということだ」と。正に佐渡の翼は、過去9年間、目立つ事や物議を醸すような記事を掲載し、島民の耳目を集めるのに成功し、その代償として多くの人々からの嫉妬に晒されたのだ。

2008年4月に当ブログがパクリ事件を起こした際は、佐渡の飲食店評価に関する忌憚のない記事を掲載する当ブログを、目の上のたんこぶ視していた人々は、金持ち風を吹かせて自慢する当ブログへの嫉妬も加わり、当ブログを潰す絶好の機会とばかりに、佐渡じゃむの掲示板は勿論の事、パクられた当該ブログや島内の幾つかのブログのコメント欄で、当ブログへの非難中傷攻撃を繰り返した。佐渡島内に住む人々は、島内の飲食店の評価に関しては心の中で思っている事を声に出せないが、翼は島外人なので、率直にその事をブログで代弁し、本音をずばりと話してくれた。だから、米国人の現状に対する不満を率直に代弁したトランプのように、翼は一部の島民から熱狂的な支持を得た。その事への嫉妬もあったのだ。つまり、今思い返すと、当ブログへの中傷攻撃の源泉は全て「嫉妬」の一言で説明出来たのだ。嫉妬は、それが高じると殺人にまで繋がりかねない異常心理なのだが、一方で、嫉妬を、他人を凌駕するための発奮材料に転換出来る人もおり、嫉妬心理学は誠に奥が深い。

当ブログの記事内容が佐渡情報の発信を中心としていた頃のアクセス解析では、佐渡島内を含めた新潟県からの閲覧割合は7割近くに達していたが、海外あるいは国内旅行記事と食べ歩き記事が中心となった昨今のアクセス解析では、その割合は2割ほどにまで減っており、8割以上は、グーグルやヤフーでのキーワード検索で国外や県外から当ブログに辿り着く人々である。従って、佐渡関連の掲示板で当ブログを誹謗中傷したり、逆に褒め上げたりすれば当ブログへのアクセス数が変動するなどと言う連動関係はなくなっているので勘違いはしないで欲しい。当ブログに佐渡関連の記事が出現するのは数か月に一度であり、それも神社仏閣や名所旧跡巡りのようなつまらない記事ばかりである。「そのうち、佐渡に新規開店した飲食店やスナック巡りなどの面白い記事が掲載されるのではないか」と淡い期待を抱きつつ毎日当ブログを訪問する方々には、はっきりと断言しておきたい。「将来、当ブログにその種の記事が現れる事は絶対になく、それらは全て過去記事となる」と。つまり、最早佐渡の翼ブログは、島内からのアクセス数は発足当初よりは減っているものの全国からのアクセスが絶えない、巨大肥大化した人気ブログになっているのである。

さて、2015年12月13日は、12月と言う乾季の時期にしては珍しい終日雨の一日であった。ヘアーサロンでのカット終了後に、高島屋レストラン街の「福禄寿」へ行ったところ、満席で1時間待ちとの事で入店を諦めた。そこで筆者は新宿南口にある、小田急が経営するホテルセンチュリーサザンタワー19階の日本料理店「ほり川」へ向かった。午後12時30分頃にお店に到着。予約なしで訪れたので、代々木公園を見渡せる窓際ではない二人掛席へ案内された。

筆者は花籠弁当(3456円)を注文した。まず、お造りが出てきた。酸味の効いた和風ドレッシングがかけられたカルパッチョ風のお造りだ。真ん中にお野菜があるので、海鮮サラダっぽい感じもする一品だ。お造りの中身は、甘エビから反時計周りに、かんぱち、サーモン、帆立の炙り、真鯛である。いずれも鮮度は抜群であった。

次いで八寸を中心に据え、周囲に、野菜の炊き合わせ、春雨と蟹入り茶わん蒸し、冬野菜の煮浸し、小鯛の南蛮漬け、寒鰤の幽庵焼きみぞれおろし、などを配置した籠盛り弁当が運ばれて来た。八寸の中身は、山いくら、牛肉の八幡巻き、細巻き、金時豆、チーズ巻き、卵焼き、鮟鱇の幽庵焼きであった。お食事は「むかご飯」で、これに赤だし味噌汁としめじと豆腐のお吸い物が付いて来た。最後のデザートはバニラアイスで締めくくり。これと言ったサプライズのない日曜のランチだったが、そこそこ満足した後家路に付いた。

メニュー

お箸

御造り五種盛り

甘海老

カンパチ

サーモン

帆立



寒鰤

小鯛の南蛮漬け

野菜の煮びたし

茶わん蒸し

野菜の炊き合わせ

八寸の全景写真

むかごご飯

香の物

お吸い物

デザート


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