筆者は大学院を卒業後米国に留学し、帰国後は、ある旧制七帝国大学の講座で研究者としての生活を送っていた。講座とは、研究スペースと予算が割り当てられた研究室を意味し、そこでは教授を頂点とした、助教授(現在の准教授)、講師、助手(現在の助教)のヒエラルキーが確立していた。講座では教授の言う事は絶対であり、教授に逆らう者は、例外なく講座から追い出された。大学からの評価の絶対的尺度は論文の数であり、学生に対する指導力、教育技術などは一切評価の対象にはならなかった。だから、講座に属する者は、教育そっちのけで競って論文作製に奔走した。それゆえ、都合のいいデータだけを集めてきて、clearな結論を導き出す、所謂綺麗な論文を書く輩が後を絶たず、海外の有名雑誌に次々に論文を投稿掲載し、impact factorの数を増やしていくのが教授への近道だった。研究生活の毎日はそれこそ論文のネタ探しに費やされた。寝ても覚めても執筆した論文の推敲が頭から離れないほど、研究三昧の生活であった。
だが、ある日を境に論文を書く必要が全く無くなった。民間会社に就職すると、例え何百本と英文論文を書いた実績があろうとも、それで顧客の数が増える訳ではないからだ。実社会は、講座や学界のような学問の世界とは訳が違う。学会発表の数よりも、いかに売上を増やしたかで評価される世界だからだ。では今までの業績は一体何だったのだろうか?そう自問自答しながら、不要になった論文別刷りをゴミ箱へ捨てた。著名な海外雑誌に英文論文を投稿し、数ヵ月後にacceptの手紙をもらった時のうれしさは、ほろ苦い過去の思い出となっている。筆者は、輝かしい業績や学界での地位を全て捨てて今の会社に就職した。例え数奇な人生を歩んだとしても、「終りよければ全てよし」であり、筆者のこの転身が吉と出るか否かはまもなく結論が出るだろう。