相川金山の繁栄と共に、小木が金の積み出し港として栄えると、旅人のための道しるべとして、小木と相川を結ぶ街道沿いに、一里毎に一里塚が設置された。塚は土を盛っただけの簡単な造りだが、現存する一里塚は、杉の浦以外には、小木木野浦、羽茂、中山、くらいではないだろうか?羽茂から赤泊方向へ向けて車を走らせると、杉の浦の海岸近くで、道が登り坂となり、その頂上付近の右手にこんもりとした丘のような物が見えて来る。そしてそこを過ぎると左手に駐車場がある。塚へは石段が設置されているが、「一里塚」と書かれた消えかかった標柱があるだけなので、注意して通らないと見過ごしてしまう。塚の背後に回ってみたら、首の無い地蔵や石碑、そして誰かの墓などもあった。
承応2年(1654)頃より、明暦元年(1655)にかけて、伊丹奉行親子によって佐渡の一里塚が築かれたとされているが、その後も交通路の発達や距離の修理に伴い築造された。一里塚は通常、街道の両側に−基ずつ築かれるが、杉の浦の一里塚は片側(海岸側)の一基だけが残っている。
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