物は言いようで、言い方によっては、相手の感情が和らぐこともあるし、逆に、相手が態度を硬化させることもある。時に、会議の場で議論が感情的になり、後味の悪い思いをすることもあるが、徹底した議論が行われれば、しこりを残すことはまずない。ところが、普段の職場では、何気なく発する言葉が、知らない間に相手の感情を害したり、自身の評価を低くすることがあるので、充分な注意が必要だ。そこで、普段の職場で使うと人間関係が悪くなる危険な日本語の代表例を以下に示そう。
1) 余計な口出しをするな!
第3者が口を挟むと、露骨に不愉快な顔をする人がいる。しかし、「傍目八目」という言葉があるように、第3者のほうが、冷静に状況を分析できるので、的確な意見を言うことができる。その意味で、「余計な口出しをするな」と、人の意見を拒否する人は、周囲から見ると、第3者の意見を聞く心の余裕のない人と映る。そう言えば言うほど、自身の評価が下がることを覚悟したほうがいい。むしろ、「余計な口出し」を歓迎し、人の意見に真摯に耳を傾ける人のほうが、「あの人は話しやすい人」と思われるはずである。
2) 誰それを見習いなさい
そのように、人と比較された時の悔しさ、屈辱感は、経験した人でなければ分からないものだ。しかも、そういうことを言われるのは、何か失敗をしでかした時であり、ただでさえ落ち込んでいるときに、追い討ちをかけられるようなもの。筆者も、軽い気持ちで、発言したことがあるが、どうやら人間関係を悪くした可能性があり、深く反省している。
3) みんながそう言っているわよ
この表現も、女性職員がけっこう使っているのではないだろうか。先輩OLが、後輩OLをいじめる時に、「あなたの化粧が濃いって、みんな言っているわよ」などと言っているのを聞くことがある。自分だけの考え、あるいは数人の意見に過ぎないのに、あたかも、それが、みんながそう感じている、社内の大勢であるかのように思わせて追い込んでいく手法だ。HNをころころ変えて、同一人物が、ライバル店の悪口を何度か書き込んで、読者に「あの店の評判は良くない」と言うイメージを植え付けさせる手法と全く同じである。社員全員に事情聴取をして、何人がこう考えている、何人が違う意見であるという客観的な証拠が示されない限り、「みんながこう言っている」などという発言は気にする必要はないし、むしろ黙殺してしかるべき、実に卑劣な発言と言える。この表現には、自分の言葉を、みんなの意見にすり替えて、責任回避を図ろうというニュアンスも含まれるので、益々、こうした発言をする人間は、周囲から遠ざけられ、仲間はずれにされていくものなのだ。
参考文献:「使ってはいけない日本語」宇野義方著、河出書房新社